続かないといえば、筋トレ、ストレッチ、英語学習、瞑想、読書などなど。そこにこれ。数えだせばキリがないのだけど、それは続いていることもそうなのだろう。じゃあ、なにが続いているのかといえば、注意散漫、足りない頭、日常。
継続は力なり、その連続性の中にそれを否定するそれ自身。
私の思考の歴史は浅い。外的ストレスに当てられ、それを解体するために始まった。
それの構成要素は、それを否定するものだった。
それが最初。
その否定の中身をひらけば、それとそれじゃないもの。
またそれを開けば。じゃあ、あてにならないよね。
空っぽいなと当時は思った。今思えば、上記の様に。
ようは覚えてない。
重要なのはストレスとやらは、ちゃんと解体され撤去されたこと。その思考廃棄物は心を劣悪な環境にしてしまった。それも2、3年で十分きれいになって、どうじに思考の必要性もなくなってしまったようで。
考え方を思い出して、今に適用してみてもどうもイマイチ。
まあ、当時の自分には新鮮だったのだろうけど、すっかり慣れて血肉になっているのだろう。
誤解しか生まない程度に言うと、ソシュール、ヴィドゲシュタイン、ニーチェ、釈迦、ラッセルの美味しい部分の思想体験をしていた感じ。あんだけ苦しんでひねり出したものを、先人たちはわざわざ他人一般に理解できるように推敲して本にまでしてくれているのだからすばらしいもので。教養の偉大さを感じさせてくれますな。
自分すら読めない文章になっていた所で、おやすみ。
こんなもの習慣にしてもなにがなにやら・・・
いや自分次第ですよ!ガンバリマショウ(棒)
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