2014年5月18日日曜日

書くために書く

それすら、書けない。
何を気にしてるかというと、書いているうちに単語、いいまわし、リズムなんかが気になって、書き換える間に書こうと思っていたことと、まるでちがってくる。
何を書きたいかということを考えてから、始めないからというのも大きい。考えながら、その徒然を書いていきたいわけだけど、、、あー 思考ってわりと雑然としてるから、それを描写しても、ちゃんとごちゃごちゃしてる文になるのは当たり前だった。
それを繰り返していくと、いくらか形になっていくんでしょうな。その形に。

思考言語と視覚的な文字としての言語ではちがいがある。
思考というのは、とても自分的で、飛躍もイメージバインドもお手の物。自分に閉じがちで、共有するつもりもないから、それをそのまま文字にしても辞書とは剥離しがち。
文字はその逆。他人との通信プロトコルとしての役割が本質。
という訳でもないのが現実で、その思考言語だって、通信プロトコルを内に抱えたのが始まりだし、文字だって、共有目的で使われることばかりじゃない。

序破急、起承転結、論理的筋立て。
物語でもなければ、理論作りでもないただの文字列をそんなフォーマットでまとめなくてもいいし、仕様も知らないし。

徒然としてるようで散文的な。
句読点の半分は諦めがにじむ。

可逆的な文にあこがれるが、書き心地を優先するとこうなる。タイピングの遅延と語彙のなさからくるストレスは、恥をよけて進むように文字を仕向ける。
それもそれで、その形。ただ厨二病的な当時を思い出す。
そんな形。

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